中村扇雀の公式ブログ

「3月歌舞伎座大歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」舞台写真入り番付」

2025年3月24日

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松竹創業130周年を記念して三大狂言を上演する第一弾の「仮名手本忠臣蔵」

20代の時に一度務めた足利左兵衛督直義を久しぶりに務めました。
忠臣蔵の役は大序の足利左兵衛督直義・顔世御前・塩冶判官に始まり
三段目の塩冶判官・裏門の段の勘平・道行のおかる
四段目の塩冶判官・顔世御前・力弥・残りの諸士
五・六段目の勘平・おかる
七段目のおかる・力弥
八段目の小浪
九段目の小浪・力弥
十一段目の力弥
と多分これで全部と思いますが色々務めました。
しかし父が一日で務めた
七役(髙師直・大星由良之助・勘平・斧定九郎・与市兵衛・平右衛門・戸無瀬)
には遠く及びません。
上方ではこの七役を変わる演出が残っています。
いつかはと思っていますが父は本役で一度は戸無瀬を務めていないとやらない方がいいと申してました。
この忠臣蔵で曾祖父の初代鴈治郎の四段目の由良之助の素晴らしい写真が残っています。
実は城明け渡しの由良之助ができたたら役者を辞めてもいいと思っているくらい一度は演って見たいのが由良之助です。あの九寸五分を舐めるところを上演したらほかの場はいらないのではと思うくらい好きな場面です。思っていればいつかかなうと信じています。

話はそれましたたが
番付ご希望の方はお名前ご住所を明記のうえ
下記のアドレスに部数を添えてお申し込み下さい。
入金方法を折り返しお知らせします。入金確認後にお名前とサインをかいて郵送させて頂きます。

歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」
サイン入りパンフレット
一部 1,485円
(1,300円+送料185円 消費税込み)

締め切りは3月27日(木)千穐楽正午(12時)までとさせていただきます。

ご郵送のみの受付とさせていただきます。

申し込みは
suzumenokai@senjaku.com
こちらのアドレスにお願い致します。

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「今野敏先生対談掲載誌」

2025年3月24日

 「小説現代」4月号 講談社

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ブログでで先日掲載した今野敏先生との対談掲載誌が3/22に発売されました。
先生の小説の構築の仕方、私自身の役の作り方などお酒も入り多岐にわたり楽しい対談になっています。
是非手に取ってご覧下さい。

税込1,000円です。
宜しくお願いいたします。

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「1月公演舞台写真入り番付」

2025年1月23日

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中日から役を交代しましたので舞台写真入りの販売が遅くなりました。

忠兵衛・八右衛門
両役の写真が入った番付をサイン入りでご希望の方にお送り致します。
初めての歌舞伎座での忠兵衛・八右衛門です。

ご希望の方はお名前ご住所を明記のうえ
下記のアドレスに部数を添えてお申し込み下さい。
入金方法を折り返しお知らせします。入金確認後に郵送させて頂きます。

歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」
サイン入りパンフレット
一部 1,685円
(1,500円+送料185円 消費税込み)

締め切りは1月26日(日)千穐楽正午(12時)までとさせていただきます。

ご郵送のみの受付とさせていただきます。

申し込みは
suzumenokai@senjaku.com
こちらのアドレスにお願い致します。


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「今野敏先生」

2025年1月21日

昨日作家の今野敏先生と対談してきました。

「隠蔽捜査」という2011年に出演した舞台の原作者の今野先生とはその公演以来のご縁で舞台を観て頂いたり食事をしたりのご縁です。
今回「署長サスピション」刊行記念対談を講談社の方が企画して下さり久しぶりにお会い致しました。
「封印切」を歌舞伎座で観劇して下さったのちに約3時間に及ぶ会食で楽しい会話を満喫致しました。

小説現代4月号(3月22日発売)に対談が掲載されますので是非ご覧下さい。

会話弾みすぎで先生と写真取るの忘れてました、、、

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「インタビュー記事」

2025年1月19日

美術展ナビといWEBで今月の舞台のインタビューを受けましたのでご覧になって下さい。

https://artexhibition.jp/topics/news/20250116-AEJ2559891/

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「阪神淡路大震災30年」

2025年1月17日

毎年この日が来ると扇雀襲名中座公演を思い出します。
震災から30年はそのまま扇雀襲名から30年と重なります。

発生時は宿泊先のホテルのベットの上でした。
かなりの高層階でしたのでホテルが折れるのではないかと心配になるほどの揺れでベットから降りてもすぐに立てない程でした。やっと立つことが出来た時には当時まだブラウン管のTVが台から落ち換気口からは埃の塊が落ちスタンドが倒れていました。揺れが収まり廊下に出てみるとそこには人影がなく館内放送もありません。おそらく早朝のことでしたからホテル側の体制も整って無かったのではないでしょうか。
前日に父の曾根崎心中お初1000回を迎え華々しくお祝いをした翌朝の出来事です。
襲名披露も一週間ほど残しての突然の自然災害に心の動揺と共に何をすべきなのかすぐに浮かばないものです。なかなか情報が出回らず徐々に神戸の映像が映し出され各地で火の手が上がり、高速道路の倒壊が映し出され大災害が映像として目に入ってきました。
中座自体も古い劇場でしたから被害が心配でしたが何よりも関係者に被災した方がいないのかが気になります。公演はもちろん中止と思ったのですが、松竹の判断は一時間開演を遅らせての上演決行でした。
中座に到着すると幸い建物の倒壊はなく屋根瓦が上から数十枚崩れ落ちていましたが、舞台機構に支障はないとのことでした。私達東京からの役者は近隣のホテルに宿泊していますので徒歩圏内ですが、働いている大道具さんや劇場係員の方や関西在住の役者たちは交通手段が確保できず劇場にすぐに来られません。それは観客の皆様も同じ事です。
かくて一時間ほどの遅延の後に十種香の幕が開き八重垣姫を努めたのですが、客席のお客様は200名にも届いて無かったのではないでしょうか。勝頼を努めて下さった富十郎のお兄さんも「本当にやるのかい」と劇場の判断に流石に驚いてらっしゃいました。被災者の方々のことを思うと複雑な気持ちでしたが、劇場に足をお運び下さった皆様には自分のするべきことを努めなくてはという気持ちが勝ちます。
翌日以降も公演は続きましたが、休憩時間にロビーに出て扮装のまま募金を募ったりはしましたが、自然の災害に対して自分自身の無力を感じずにはいられません。

私の母の生まれ故郷である兵庫県は子供の頃からよく遊びに行き馴染みの深い土地なので今も大阪公演の際には神戸に足を伸ばし好きなお店に通うようにしています。
京都と並んで第二の故郷です。その皆様に現地で歌舞伎の楽しさ面白さを広めたいと努めています。それが私のできる1番の事です。

改めて亡くなられた方のご冥福を祈ると共に自分のできるお芝居で皆様に喜びや生きがいを感じていただけることを目指し、今日も先祖から伝わった上方歌舞伎の真髄を東京の歌舞伎座でお見せしたいと思っています。

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「封印切」

2025年1月16日

平成7年初春大歌舞伎は松竹創業130年記念と銘打っての興行です。
その記念公演にて上方歌舞伎の代表作「封印切」を玩辞楼十二曲の一つとして上演できることに上方歌舞伎継承者としての喜びを感じています。
今回は兄の鴈治郎と忠兵衛と八右衛門の二役を中日で交代するという珍しい上演方法で兄との違いを楽しんで頂く企画になっています。

この演目では忠兵衛・梅川・おえんをそれぞれ何度も演じ家の芸として継承してきていますが八右衛門は初役での挑戦となります。

前回この演目に出演したのは兄の忠兵衛で私の梅川でした。
その時に次回兄が忠兵衛を演じる時には僕が八右衛門を勤めるのも一つの案として考えてみて下さいと、松竹のプロデューサーの方と話していたのが今回の企画の元となっと思います。女方や二枚目の立役が多いので意外と思われる方も多いかもしれませんが、私自身は上方の役者ですから役の範囲はこだわっていませんので役を伝えられた時はこれは楽しみだなと瞬間に感じました。

さて、14日まではその八右衛門を勤めてきました。
玩辞楼十二曲というのは私の曽祖父初代鴈治郎の得意とした代表演目を12演目集めた私の家の芸です。

https://enmokudb.kabuki.ne.jp/phraseology/2453/

上方歌舞伎は先人の芸を継承しつつ自身の工夫を加えることが当たり前なのですが、この
玩辞楼十二曲の演目に関しては昭和10年の2月1日に亡くなった初代鴈治郎の当たり役ですのでこれらの演目を演じるときには敢えて初代を目指して初代を想像して役作りをして来ました。それは私自身のこだわりでもあります。
初代さんには会ったことはありませんがその偉大な功績は充分に勉強しています。
僅かに残ったレコードや映像、そして祖父や父に継承されて来た芸。
この家に生まれた以上この初代の血を引く人間が継承していくことを宿命と感じています。
初代さんは特にリアリティすなわち写実の芸を好んで目指していたと伝えられています。
「封印切」での初代の役はもちろん忠兵衛です。
父の相手役で梅川を何度も勤めていますので、曽祖父から祖父そして父に伝えられてきた
芸は肌で覚えています。
しかし今回はまず八右衛門で初日を迎えました。
初役の八右衛門ですがここも写実を目指しました。
八右衛門の花道の出の唄が
"男がようてそして程がようて金持ちで金に不足はなけれでも浮気しゃんすが玉に疵"
とあります。
元来忠兵衛とは友達で本人も二枚目で金持ちで遊び上手な男で梅川のことも忠兵衛の邪魔をすることより自分も梅川のことは気に入ってるのでお金があるから忠兵衛より先に身請けしようと思っていたはずです。リアリティをベースにそんな人物像を作り上げました。
喧嘩になっていくのもお客様が人の喧嘩を横で野次馬で見ていてどうなるのどうなるのという臨場感を味わっていただくことを目指しています。その中で歌舞伎の間とか台詞のテクニックを駆使して作り上げました。
ご覧になったか方にはどのよう映ったのでしょう。最初で最後の八右衛門だったたかもしれません(笑)


さて昨日初日を迎えた忠兵衛です。
兄の忠兵衛で八右衛門を勤めていましたが兄弟でも役作りはかなりの違いがあると思います。先ほどから書いていますがやはり初代鴈治郎が作り上げた忠兵衛を目指しています。

まず一番大事なことは大阪の訛りです。言葉が大阪弁でなくてはこの芝居が成立しません。
東京での上演ですので多少の訛りはお客様にはわからないかも知れませんが、やはり一番気をつけている事です。東京生まれ東京育ちの私にはそこが一番苦労する入り口です。
亡くなった住太夫のお師匠さんに義太夫の稽古をして頂いた時も「あんた東京生まれやししゃあないけど訛りはしっかり治さなあかんな」といつも言われていましたので、とにかく大阪弁の勉強をしましたがやはりまだネイティブにはなっていないかも知れませんが、だいぶ身にはついてきています。
忠兵衛の中で大事にしている事は梅川に対する気持ちです。
心から愛していること、苦界からなんとか救い出してあげたいしかし金がない苦悩。
偶然とはいえ身請けすることになりその先に死が待っている。しかしそれは自分で出した唯一の解決策。また義太夫狂言でもあり上方狂言でもありますから独吟、義太夫の音に乗ることも最も大切にしています。
また私が忠兵衛を勤める時は梅川には
「死んでくれとは勿体無いわしゃ礼ゆうて死にますわいな」
のセリフを泣かずに喜んで言ってもらっています。
ここだけは父や祖父と変えています。
ただ忠兵衛の芝居自体は踏襲しています。
忠兵衛の役を初役で務めた時に父から一つだけ貰ったアドバイスは、なんで成駒屋の封印切は忠兵衛が一人で引っ込むと思う?それは初代さんがスターだったからだよ。
だから家で演る時は一人で引っ込むんだよ。
花道の引っ込みは忠兵衛より役者で見せろ。
この教えはは難題です。
その難題にまた明日から挑戦していきます。

今年で扇雀襲名30年となります。
歌舞伎座で家の芸「封印切」の忠兵衛を勤めるのに扇雀襲名から30年かかりましが、今までで培ってきた上方芸が披露できる喜びを噛み締めています。

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「紀尾井町夜話出演」

2024年11月 7日

本日20時より久しぶりに松緑さんの紀尾井町夜話に出演します。
自宅からリラックスした姿で参加しますので是非ご覧下さい。

https://www.kabuki-bito.jp/news/9165


あとで感想などお聞かせ下さい!

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「八月納涼歌舞伎写真入りパンフレット販売」

2023年8月24日

舞台写真入りパンフレットが販売となりましたので久しぶりに私がお名前を書いてサインしたものをご希望の方にご郵送致します。

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一部¥1,610(¥1,300+送料¥310・消費税込み)

ご希望の方はお名前ご住所を明記のうえ
下記のアドレスに部数を添えてお申し込み下さい。
入金方法を折り返しお知らせします。入金確認後に郵送させて頂きます。

suzumenokai@senjaku.com

ご応募お待ちしています。
締め切りは8月27日千穐楽正午(12時)とさせて頂きます。

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「練習ハ不可能ヲ可能ニス」

2023年8月24日

「練習ハ不可能ヲ可能ニス」
慶應義塾體育會のモットーです。見事に体現してくれました。
"エンジョイベースボール"を掲げて昨日全国制覇した母校慶応高校の皆さん心からおめでとう。
そして参加した全国の野球部の皆さん人生の中で最高の夏を過ごせたことを誇りに持ってください!

35年前に生徒会長を務めた母校が、高校野球全国制覇の偉業を達成した事は感動や感激という言葉では表現出来ないほどの歓喜です。
慶應大学では體育會ゴルフ部に所属して4年間学ラン通学でしたので體育會の厳しさは体が覚えています。それを乗り越えた先の結果は人生最高の経験となります。

中継を観ていて慶應の応援がひっきりなしの大ボリュームでだいぶ批判を浴びていたようです。仙台育英はやりにくかった事と思いますが、アウェイの試合は国際試合ではよくあることなのでそれも運命、乗り越えてほしいと思います。慶応の応援を誉めることはしませんが僕も球場にいたら声の限り声援を送っていたと思います。母校愛とはそんなものです。

スポーツには勝ち負けは必ずついてくるものです。勝者と敗者に優劣はつきません。
運命的なことだと思っています。その運命を受け入れて成長して行くのではないでしょうか。

練習ハ不可能ヲ可能ニス

かつて慶應義塾の塾長だった小泉信三先生のことばです。
スポーツに限らず人生の教訓として大事にしてる言葉です。

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