2011年1月記事一覧
「本日告別式」
2011年1月28日
本日、午前十時より築地本願寺において天王寺屋のお兄さんの告別式がしめやかに執り行われました。
参列中はお兄さんの数々の舞台姿やお声、一緒にお食事させて頂いた事、イタリア公演のこと、最後にご一緒した「修善寺物語」のこと等走馬灯のように頭の中をよぎりました。
お兄さんの一歳年下である父も参列していましたが、言葉に尽くせぬ思いだっのではないでしょうか。
人生死ぬ迄生きている。けれど死ぬ迄しか生きていない。
という言葉をよく使うのですが、どう死んでいくかも大事だなと感じました。
人生一人一人に山あり谷あり、けれど振り返った時素敵と思える人生を自分で歩みたいです。
あの時ああしていたらとかこうしていればと、俗に言うたらればだけは思わないように勤めています。
今、書いているうちに
お兄さんの豪快な笑い声が耳の奥に響いて来て・・・
お兄さんの舞台が映像のみになってしまいました
心よりご冥福をお祈り致します
「松竹座千秋楽」
2011年1月27日
松竹座初春公演が千秋楽を迎えました!
大入袋が配られめでたく25日間の公演を終えました
ご観劇下さった皆様、この場を借りて御礼申し上げます
ありがとうございました !
玩辞楼十二曲の内 土屋主税(つちやちから)の絵看板
ガラスが反射してすいません
兄と染五郎さんと共演した昼の序幕はやはり初代鴈治郎の為に書かれた役者を見せる演目でした。
演じる役者の個性がストレートに出ますが、初代さんの舞台を想像しながら舞台に立っていました。
私もかねてから土屋主税候は演じてみたい役ですので、是非とも近いうちに手がけたいと願っています。
玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)の絵看板
ガラスが反射してすいません
父との吉田屋は三度目ですが、一度は男女が逆でした。
何よりも日々79歳の父の藝を肌で感じていた事が、大きな財産となりました。
藤屋伊左衛門の役は私も一生演じ続けたい演目ですので、今後に繋がる有意義な舞台でした。
江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)の絵看板
ガラスが反射してすいません
千秋楽の夜の部終演時にカーテンコールが起こり高麗屋のお兄さん染五郎さんと私の三人で手をつなぎお辞儀をした時は感無量でした!
「人間豹」は芝居のテンポがよく分かりやすい内容ですが、明智や恩田の言葉に説得力があり脚色の岩豪友樹子さんからも楽しく観ましたとメールを頂き出演できた事をとても嬉しく思っています。
三役を演じ分ける楽しさは歌舞伎ならではではないでしょうか!
再々演の機会があれば是非また声をかけて頂きたいと思っています。
「click!」
2011年1月24日
クリック!
美容室の名前です!
ここ三ヶ月の間に休みは元旦の一日しかなかったので、髪の毛をカットする暇がなく最近では一番長いと思うくらい髪の毛が伸びてうっとうしかったのですが、昨日の昼の部「男の花道」の間に髪の毛切ってきました。
http://click-hair.biz/index.html
古い友人の杉山君にカットしてもらいとてもすっきりしました。
来月は本当に久し振りに舞台はお休みですが、TVの仕事が入り現代劇なのでぼさぼさの頭で出るわけにはいかないのでカットしてきました。
仕事の詳細は近く報告します。
心斎橋のジ・アトリウムというビルに入っているお店ですが、センスのいいお店で何より杉山君のカットが上手いので関西ではいつもこちらに伺っています。
興味のある方は予約していってみて下さい。
「オリジナル卓上カレンダー1月〜6月」
2011年1月23日
「雀の会」の会員の方に差し上げている卓上の小さいカレンダーですが、お気に入りです。
「伎芸天のお札」
2011年1月23日
秋篠町にお住みの方が元旦にお参りなさり、この「伎藝天尊御守護」の札を送って下さいます。
例年のとおり今年も頂戴しました。ありがとうございます。
あまり縁起を担ぐほうではないのですが、気を引き締める意味を含めて鏡台の向かって左側にいつも立てかけてあります。
長さが10cm程と小さいので、二つ下さる一つはお財布に入れて携帯しています。
舞台は休み無く続きますので藝の向上はもとより健康は願っています。
舞台に出るときには、曾祖父と祖父の事は意識しています。それぞれ2月1日と4月13日が命日ですので、毎月1日と13日は意識が強くなります。
力を与えて下さいというより、今自分が居るのは先祖のお陰ですので感謝と、観ていて下さいという気持ちです。
特に南座は二階上手のロビーに曾祖父の胸像が壁にかけてあるので直接観られているようで、特に身が引き締まります。
いつも感謝とその視線に恥ずかしくない舞台をと心がけています。
「1995.1.17」
2011年1月18日
16年前の震災当日、扇雀襲名披露公演で中座に出演していました。
今でも当日の事は鮮明に覚えています。
多くの方が亡くなられたことが徐々にわかってきましたので、舞台を開けるか続けるか悩みましたが、私達のできることは舞台を続けることだけでした。劇場に足を運んで下さった方に精一杯の舞台を勤めることに集中しました。今もその気持ちは変わっていません。
昨年の9月に巡業で神戸に訪れた時に町の復興は進んでいましたが、心の傷が癒えてらっしゃるか表からわかりません。
母の出身地の神戸は縁のある土地です。
一度でも多く訪れて一人でも多くの方に歌舞伎を楽しんでいただきたいと願っています。
「お気に入り」
2011年1月17日
食べ物・グッズ・レストラン・映画等々最近のお気に入りを書き込んでいこうと思います!
第一弾
Bread Papa'sのリングシュー「パリブレスト」
御堂筋三ッ寺の松竹座よりの路面店です。
ちょっと好みの食感と味です。甘さ控えめです。
観劇の前後に是非お試し下さい。
お酒も飲みますが、甘い物も食べるんです。
「「江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)」」
2011年1月17日
この作品は染五郎さんの思いの沢山詰まった演目です。その思い語る記者会見の模様は歌舞伎美人のホームページに掲載されていますので、是非ご覧下さい。
http://www.kabuki-bito.jp/news/2010/12/post_103.html
この演目は今回で二回目の上演となります。
私の演じる"お甲"・"お蘭"・"お文"の三役は前回市川春猿さんが演じています。
実際の舞台は拝見できていないのですが、舞台の録画を拝見しました。
春猿さんの魅力が余す事無く発揮されて素敵でした。
←お甲
↓お蘭(左:支度部屋 右:ウズメ舞)
私は初演の方々の中に入りましたが、今回は春猿さんとはまた違った自分なりの三役を、演出も兼ねてらっしゃる高麗屋のお兄さんに相談しながら舞台を作りました。
染五郎さんとは「小笠原騒動」「大江戸りびんぐでっど」またコクーン歌舞伎等でゼロからの舞台作りをしていますので気心は知れていますし、高麗屋のお兄さんの女房は初めてさせて頂きましたが、「ヒロちゃんのやりいいようにしなさい。」
とおっしゃって下さり、お兄さんの大きな懐に身を委ねていると言った表現が一番適切かも知れません。
色々なアイデア満載の作品で、この作品を作り上げていく楽しさは古典を演じているときと全く違うわくわくするような感覚を覚えます。僕が出したアイデアもいくつか織り交ぜ前回と又違った物が造形できたと思っています。
古典の演目と違い役者自身が楽しみながら作り上げた物がお客様にお見せできるのも歌舞伎の魅力の一つだと思っています。 ↑お文
26日の千秋楽までまだ日にちがありますので松竹座へ是非いらして下さい。 撮影 井川 由香
「玩辞楼十二曲の内「土屋主税」」
2011年1月17日
昼の部の序幕「土屋主税」の "侍女お園" の写真です。
この芝居も、初代鴈治郎の為に書かれた作品ですので、代々伝えられた演出があります。
私はまだこの土屋主税を演じた事はありませんが、父の土屋主税を今回勤めていますお園を演じながら体で覚えていますので、兄がいつインフルエンザになって休演してもすぐに変われます(笑)。
東京にほぼ同じストーリーの義士外伝に「松浦の太鼓」という演目があります。
この主役の松浦候と土屋候の違いは愛嬌だと思います。
前者の松浦候は親しみの湧く殿様ですが、後者の土屋候は理知的で聡明であまり自分を表に出さず、幕切れにだけ自分を出します。
玩辞楼(がんじろう)十二曲のこの役は、特に初代鴈治郎の魅力を余す事無く引き出す為に渡辺霞亭が書き下ろしたた作品ですので、ある意味土屋候になりきるプラスアルファー初代鴈治郎になりきることも必要なのかも知れません。
誰もが知っている忠臣蔵の物語を赤穂浪士を演じずに討ち入りの感動を第三者として伝える面白さにこの作品の魅力があります。
お客様は土屋候と同じ感動を体感することがこの作品の大きな魅力です。
今回は土屋候を演じられませんでしたが、是非早い機会に演じたい演目です。
この演目の一幕見は¥1,500となっています!
「玩辞楼十二曲の内「吉田屋」」
2011年1月15日
撮影 井川由香
松竹座夜の部の二番目狂言・玩辞楼十二曲の内「吉田屋」の"扇屋 夕霧"です。
この演目も先月の「河庄」と並んで我が鴈治郎家にとって最も大事な演目の一つです。
藤屋伊左衛門という役は、上方歌舞伎創始者"坂田藤十郎"の生涯の当り役であり、その流れを汲む曾祖父初代鴈治郎も生涯の当り役としたからです。
また、父が鴈治郎から坂田藤十郎を襲名した事によってより一層うちにとっては縁深い大事な狂言となりました。
上方和事の立役の中で最も難しい役がこの藤屋伊左衛門であると父も常々申しています。
私も二度勤めていますが、何と言っても存在の空気感が出せなくてはどうにも勤まらない役なんです。二度目に演じたときの千秋楽には何とかその入り口に入れた気が致しました。体の使い方、間の取り方台詞の言い回しどれをとっても高い技術が必要とされます。
一方、今回私が演じます夕霧は格が最も高い傾城でその位取りがまず大事となります。
そして、次に重要なのは伊左衛門との間に子供がいるという事です。
二人は実際には夫婦の繋がりがあり、その愛情表現がポイントとなります。
常磐津にのっての振りごとは言ってみれば痴話喧嘩ですので、二人の間の見えない愛情が根底に流れていなければいけないと思います。
舞踊のようで舞踊でない。しかし、義太夫と常磐津の音曲にのらなくてはいけません。
三味線との微妙な間が芝居に深みを増します。
父の伊左衛門は和事の体使いや台詞の音の高低、間の取り方が生きた教科書です。
私も手がけていますので、余計父の伊左衛門が理解できます。
上方歌舞伎には型があるようでないといいますが、「玩辞楼十二曲」に関しては、初代鴈治郎が上演した形が基本で、型のような事になっていますが、これが非常に大事になってきます。特に台詞の言い回しは曾祖父から祖父そして父へと受け継がれています。
久し振りに父の相手役をする事によってその台詞の言い回しを肌で感じ覚えていく事が藝の伝承の原点のような気が致します。
伊左衛門は紙衣という衣装を着ていますが、身分をやつしている現れです。
しかしその中から色気を放出するのですから並大抵の事ではありません。
松竹座は三階後方席を一幕見として販売しています。
「吉田屋」は¥1,200でご覧頂けますので是非上方歌舞伎の原点に触れてみて下さい。
「中日」
2011年1月15日
今月の公演も14日で中日(なかび)を迎え丁度半分終わりました。
舞台もおかげさまで評判がよく、お客様の反応や関心が日を追うごとに高まっている気が致します。新聞の劇評の評判もよく、公演を盛り上げて下さっています。
しかし、今度は愛ちゃん(愛之助君)のダウンのニュースが飛び込み、心配です。
インフルエンザで三日間の休演予定と聞きホッとしました。
自分自身も健康に留意するよう気を引き締め直しました。
以前、舞台公演中に顔面神経麻痺という顔の半分が動かなくなる病気にかかったことがあり、一ヶ月の入院をお医者さまから宣言された事がありました。しかし、勘三郎襲名全国巡業の西日本コースの初日前日に発病してしまい、飲み薬を飲みながら、公演に出発しました。
インターネットで調べたところ、この病気は過労やストレスが原因と言われ、西洋医学よりも東洋医学のほうが治癒しやすいことが多く書かれていました。そこで中国鍼の先生を紹介して頂き、巡業に行きながら、名古屋の先生に通いました。幸い、東海地方が最初に固まっていたので続けて治療を受ける事ができ、完治までは半年かもしくは一年とお医者様に言われていましたが、約三ヶ月程で回復いたしました。
しかしこのスピードは異例の速さで、治療して下さった先生のお力は素晴らしいの一言でしか言い表せません。「男の花道」ではありませんが、ご恩は決して忘れません。
10cm程の長さの中国鍼を目尻から耳に向かって一カ所と口元から上の針と平行に耳に向かってもう一カ所通します。そしてもい一カ所は手の甲の親指の付け根あたりのツボに垂直に刺します。そして20分〜30分程じっとしています。
この治療を全部で10回程受け、後は皮膚針という針を頂き、常に顔をたたき刺激を与えます。
この治療の間に先生には普段からマッサージを必ずするように薦められました。
それ迄は僕自身マッサージが苦手でほとんどした事がなかったのですが、完治してからは定期的にマッサージは受けるようにしています。
女方は鬘が重くほぼ慢性的に肩と首がコリ固まっています。
今日も中日なので、「男の花道」の公演時間の間に「てもみん」で首と肩だけ40分してもらいました。
吉田さんという女性の方、上手でした。ありがとうございます。
それからスポーツジムでサウナに入り、25分程走り、ゆっくり体をほぐしリフレッシュして「吉田屋」と「人間豹」に臨みました。
コメントに今年の東京マラソンは参加するのかとのご質問がありましたが、今年は不参加です。
ただ、10月30日に第一回大阪マラソンが開催予定ですので、日程が合えば出場したいと思っています。
これはつまらない夢ですが、今迄歌舞伎公演で訪れた、ニューヨーク・ボストン・ベルリン・ロンドンは世界的市民マラソン開催地で、公演の時も街中を朝走っていたので、死ぬ迄にそれぞれ一回づつ参加してみたいなと思っています。
でも時間が許されないんですよね・・・・。
「お大事に!」
2011年1月13日
哲明(のりあき)さん(勘三郎さんのご本名)が来月の新橋演舞場を休演なさるという報道が流れ大変驚きました。
二月の共演者の方々は哲明さんの大好きな方々ばかりで、ご本人も楽しみになさっていた公演ですのでとても心配です。
昨年の11月の大阪平成中村座の公演の時にいつもより少し疲れが溜まっていた様子でしたので、この期にゆっくり休んで下さい。
歌舞伎公演は基本は25日間休みが全くありません。
僕も昨年は11ヶ月舞台に立っていましたので、稽古を考えると一年間で20日間位しか休んでいません。
体調管理は毎月の生活時間帯が変わるのでむずかしく疲労は蓄積するばかりです。
哲明さんとは三月博多座公演でご一緒する予定ですので、本当にゆっくり静養されて、又いつもの元気なお姿を見せて頂きたいです。
皆さんもお兄さんの一日も早い回復を祈って下さい!
「十日戎(えびす)」
2011年1月11日
商都大阪の年中行事十日戎に終演後行って来ました。
「商売繁盛で笹もってこい。」のかけ声で知られる今宮戎神社の十日戎は、元禄期から続く宝恵駕籠行列と共に大阪正月の一大イベントです。
東京の鷲神社(おとりさま)と似た行事で、東京は熊手ですがこちらは笹を買って、思い思いの飾りを笹にくくり付けます。
俵や小判など商売繁盛に繋がるものを一つでも多く飾っていきます。
飾り一つが¥1,500で飾り全部付けて¥10,000で売っている店もありますが、飛ぶように売れています!
午後九時半を回っていましたが凄い人出!
大阪元気です!
中の笹だけではありません。
境内の外には、福を呼ぶ「お多福」や「大黒様」所狭し並べられている屋台が軒を並べています。
お店や自宅に飾るのですが、かなりビックな物もあり目立つことは請け合いです!
そして、参道を歩いていると
これは、気になる!
大阪人の商魂は素晴らしい!
見つけました!
大阪ならではの "ハシマキ" 何とお好み焼きが食べやすいように割りばしに巻いてありま〜す!
片手でお好み焼き一枚食べることができるんです。
これから食事なので残念ながらトライできませんでしたが、次回見かけたら必ずチャレンジします!
戎さんで商売繁盛を祈願のあとは、一緒にお参りした友達5人でミナミのPeche Rossoへお腹すかせて飛び込みました!
「ミニ新年会」
2011年1月 9日
本日夜の部、親しい友人インテリアデザイナーの森田恭通さんとご夫人の大地真央さんが観劇してくれました。
森田さんは「もりちやん」「ヒロさん」と呼び合う友人で僕の方が少し年上ですが、何と誕生日が12月19日と同じなんです。
皆さん自分と近い友達に誕生日が同じ方いますか。
何か嬉しい喜びで、他人では無い気がしてくるものだと思います。
そのもりちゃんが奥様の真央さんと舞台を観に来てくれて、終演後に一緒に食事をしてミニ新年会を催しました。
行ったお店は写真の「もめん」さんで、大阪ミナミでも屈指の予約の取れない店ですが、
たまたたま予約が取れてミニ新年会となりました。
もりちゃんも僕も食べる事が大好きで色々と一緒に食事をしますが、こちらのお店は何度来ても飽きず、必ず又お邪魔したくなるお店です。
流行る秘訣は味とご主人の人柄とコストパフォーマンスだと思います。特にご主人の人柄が最大の魅力でしょう。何でも人物が大事なんです。
メニューはひと月単位で変わりますが、お客様が次の予約をして帰るので今年の10月迄ほぼ予約が一杯だそうです。
日本酒の常温(以前は"ひや"というとこの常温が出てきましたが、最近は日本酒をすぐ冷やすのでこの呼び方ですが、何か納得がいかない気がします・・。)と共に食事が快調に進み、しめの白飯は炊きたてで日本人に生まれてよかったと思う瞬間です。
二次会はもりちゃんがデザインを手がけたGalerie(ガルリ)で芝居好きのお店のオーナーと盛り上がりお開きです。
「1月8日こちらも誕生日」
2011年1月 9日
「2011年度かぶき手帖」
2011年1月 8日
全俳優のカラー舞台写真や様々なデータが満載です・
大手書店や各劇場で販売されています。
私の舞台写真は
初春松竹座公演
「仮名手本忠臣蔵」 四段目 塩谷判官
八月新橋演舞場公演
「暗闇の丑松」 お米
の舞台写真を掲載しています。
是非資料としても役に立ちますので、お買い求め下さい。
又、今発売中の「演劇界」に平成中村座の特集記事が掲載されています。
合わせてご覧下さい。
「虎之介13歳誕生日」
2011年1月 8日
1月8日は長男 虎之介の13回目の誕生日です。
学校があるので一緒に祝う事は出来ませんが、あっという間に中学生になり今日も学校の始業式に続いて藤間宗家で日本舞踊のお稽古とそれから塾に行って頑張っているようです。
健康に育ってくれていることが幸福です。
「TV出演のお知らせ」
2011年1月 7日
NHK-hiの番組「日めくり万葉集」
http://www.nhk.or.jp/manyoushuu/
1/18(火)AM7:55〜8:00の放送に出演しております。
また同じNHK-hiで1/25(火)AM1:25〜1:50に再放送されます。
これは1/17〜21放送分をまとめとの再放送になります。
是非ご覧下さい。
「新聞取材」
2011年1月 7日
1月15日の産経新聞関西版の夕刊に「舞台はここに」というコラムで演劇記者の亀岡典子トンの取材をお受けしました。
大阪の新町についての取材で、今月演じています「夕霧」が新町の扇屋で勤めていた事から芝居の話や先祖の話等いたしました。
是非、ご覧下さい。
「ご冥福をお祈りします」
2011年1月 5日
一昨日の晩に訃報は届きました。橋之助さんからの一本の携帯電話で天王寺屋のお兄さんが亡くなられた事を知らされました。
歌舞伎の世界では先輩の事をお兄さんあるいは伯父さんという言葉を使ってお呼びします。だいたいの基準は自分の父親と年齢が上か下かで伯父さんとお兄さんを分けているのですが、天王寺屋のお兄さんは父より二歳年上ですので、慣例からすると天王寺屋の伯父さんとお呼びするのですが、以前より「僕は伯父さんなんかじゃないよ、浩(ヒロ)ちゃん[私の本名浩太郎(ひろたろう)のことです]お兄さんとよんでよ!」とおっしゃり、大先輩でありながら、いつもお兄さんと呼ばせて頂いていました。
私の家は歌舞伎界に親戚の少ない家ですが、天王寺屋の兄さんとはご縁があり、お父様にあたる故四代目富十郎さんに祖父故二代目鴈治郎の妹で女優の故中村芳子が嫁ぎ、その孫にあたるのが、浅草歌舞伎に出演中の中村亀鶴です。また、お兄さんの亡くなられた弟さんの娘が私の兄の翫雀夫人である舞踊家の吾妻徳彌てす。
舞踊の名手でいらしたお兄さんは「地方(じかた)がだめだったらどうにもならないよ。踊り手は二か三で後は地方だよ。」と独特の高音でおっしゃっていらしたのをよく覚えています。三番叟の千歳に出さして頂いた時、中啓(ちゅうけい)を途中で落としてしまい、すぐに拾って踊り続けると、終演後に絶対自分で拾ってはいけない。その為に後見がいるのだからと教えて頂きました。又旅行が大好きお兄さんとイタリア公演に一ヶ月ご一緒させて頂いたのもすばらしい思い出です。健啖家でいらしたお兄さん食事のお話、外国のお話
そして歌舞伎のお話。数々のことが蘇ってきます。いつも「君ねー」とおっしゃってからお話が始まるのですが、大きなお声が二度とお聞きできないと思うと悲しみがこみ上げてきます。
訃報の翌日、父の楽屋に挨拶に行くと「まあね・・」と一言つぶやいた姿が扇鶴時代からともに歌舞伎を支えてきた友人の訃報をじっと受け止めている姿に人生の深みを感じ取りました。
後輩達に素晴らしい藝を伝えて下さったお兄さんに感謝申し上げるとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。
「本日初日」
2011年1月 2日
本日大阪松竹座、初日を迎えました。
昼の部、夜の部両方に鴈治郎家所縁の玩辞楼(がんじろう)十二曲の演目を上演させて頂きその両演目に私は出演しております。
昼の部の玩辞楼十二曲の内「土屋主税」では久し振りに少し
ですが、舞台で琴を弾いています。
夜の部の玩辞楼十二曲の内「吉田屋」では上方歌舞伎の代表的な父の演じる藤屋伊左衛門の相手役でチラシの写真の夕霧と、東京で新作歌舞伎として上演され大評判でした「江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)」では幸四郎のお兄さんや染五郎さんと共演させて頂き、殺人鬼に狙われる三人の女性を勤めてます。
古典や新作を織り交ぜた気軽に楽しめる演目ばかりです。
チケットはホームページでもお求め頂けますので是非皆様のご来場を心よりお待ちしています。
26日の千秋楽まで宜しくお願い致します。
「新年明けましておめでとうございます!」
2011年1月 1日
皆様、本年のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
どうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。
さて初詣行ってまいりました。
場所は大阪梅田にあるお初天神です。
そうです!
と言われても困るでしょうが、ホームページのトップの写真は「曾根崎心中」のお初の写真を載せていますが、そのお初所縁の天神様です。
通称をお初天神といい正式名は露天神社(つゆのてんじんじゃ)と言います。
http://www.tuyutenjin.com/index.html
祖父と父が近松門左衛門原作「曽根崎心中」を復活させた所縁の神社にお参りしてきました。このお初の役は歌舞伎の歴史で父と僕と甥の壱太郎の三人しか演じていません。
又、相手役の徳兵衛と両方演じている役者なると歌舞伎の歴史で僕一人になります。
そんな縁の深い神社に両親と家族と共に初詣に行って参りました。
次回上演の際には従来の演出と幕切れを変えて演じたいと常々考えております。
曾根崎心中をイギリスで上演した際に、イギリス人の観客の方のご意見が参考になりました。
以前お初を演じた際に父に相談し次回上演の折には試してみたらどうだという意見も貰いました。
色々なアイデアが頭の中で巡り、一日も早く上演できるようお初の初夢を見たいと思っています。
そして、夜は昨日のメンバーからTV出演の為に抜けた甥の壱太郎を除く全員で元旦の食事会で今年一年の健勝を皆で祈念しました。
とにもかくにも今年も一年改めて、宜しくお願い致します。