2011年4月記事一覧
「家庭で上方の味を」
2011年4月29日
上方の話が出たついでに我が家の定番「たこ焼き」のご紹介です。
母親方の亡くなった祖母が神戸の人で、僕が子供の頃よく"明石焼"を作ってくれました。
これは具がたこだけで卵が多めの生地で作って、出汁につけて食べます。
以前我が家でも作ったのですが、マヨネーズとかソースがつけられないのであまり評判が良くなく今では普通のたこ焼きのみです。
生地はだし汁で溶きます。好みがあるので紅生姜を入れているものと入れていないものを作ります。揚げ玉(天かす)は必需品です。ネギあるいはキャベツはお好みで。生地は少し固めに作るとまわした時に崩れにくくなるのがこつだと思います。かなり火が通るまで回しません。180度一気にいく前に90度くらいで一瞬様子を見て、周りにはみ出ている部分を丁寧に中に入れると、きれいな球状に仕上がります。
削り節は忘れずに。
何十個も食べられそうですが、案外お腹いっぱいになります。
今はスーパーでたこ焼き専用の粉が売っているので、作り方も書いてありどなたでもすぐに作れますので是非お試しを。
注意:ご家庭にたこ焼き焼機が無くては作れません!
「上方歌舞伎女形三題」
2011年4月25日
下四月新橋演舞場公演が終わり歌舞伎の本興行は八月の新橋演舞場公演までお休みです。
その間いくつか仕事はしていますので都度ご報告します。
その前に昨年12月から今月まで演じた上方歌舞伎の代表的な女形三役を振り返りたいと思います。
京都南座十二月「河庄」小春
まず去年の顔見世での"小春"
この役は初役でしたが必ず演じる役ですので自分なりに随分研究を重ねていました。
治兵衛はすでに手がけていますので演目全体の流れは体が覚えています。
おさんの手紙を読み別れる決意をしてから治兵衛にあってしまい、本心を隠しながらただ耐え忍ぶこと。
そして治兵衛の言葉に感情が動き始めて会ってお互いに惹かれ合った時の感情が再び蘇りそれを押し隠している間こみ上げる感情を押し殺しじっとしているることのつらさは相当大変です。
彼女は一人で自害を決意したと思います。朝日新聞の西本さんの劇評て"重い"という表現がありましたが、この役はどう演じても"軽く"はできません。
治兵衛の言葉一つ一つにリアルに感情が動きますので、死を決意しながら表に出さず、心から惚れた男にののしられることをじっと耐えていると、おのずと空気は重くなって行きます。そこが伝わっていれば私は逆に上出来のうちかと考えています。
先日仕事でご一緒した壌 晴彦さんが見て下さっていたらしく、「小春で涙しました」といって下さりとても嬉しく心の中で小躍りしました。
小春は大好きな役ですが、いづれまた治兵衛も演じると思いますがその時小春は・・・。
大阪松竹座一月 「吉田屋」夕霧
この役はまず第一に格が無くては勤まりません。
そして、伊左衛門との間に子供があることを忘れてはいけません。
数年前に私の伊左衛門で父の夕霧という逆バージョンで演じたことがありますが、その時に体の動きより気持ちの動きがこの役はより重要であると感じました。
常磐津が入り舞踊劇の流れですので振り事が中心ですが、振りに気持ちを置くより、大事な事は伊左衛門に対する気持ちの動きです。
その夕霧の気持ちがぶれずにいると伊左衛門も演じやすくなります。
そこを心がけて勤めましたが、はからずも父から「おもしろかったよ」
と千穐楽に言われた時は大きな満足感に浸りました。
東京で上演したいですね。
四月新橋演舞場 「封印切」梅川
玩辞楼十二曲の中でもこの演目が上演頻度は一番多いかも知れません。
今回の梅川はめまぐるしく変わる梅川の心情をリアルに丁寧に創っていきました。
その結果以前のブログにも書きましたが、
「死んでくれとはもったいない、わしゃ礼言うて死にますわいな。」
の台詞を泣き落としの義太夫の三味線を排除して、喜びと感激の感情を全面に出しました。
すると次の忠兵衛の
「もっともじゃ。もっともじゃ。」
の間合いがどんどん長くなり梅川の言葉に呼応しているかのようでした。
こうして今までにない空間がそこに生まれました。
稽古の段階では父は何百回と演じているので本意気ではやりませんので、舞台上の僕の梅川に瞬時に反応して忠兵衛としての言葉が出て来たのです。
勘太郎さんが来月明治座で同じ演目を上演するので何度も舞台を観に来ていたのですが、
「毎回違いますね。」
「藤十郎の叔父ちゃまどこで息を吸っているのか分かりません。」
と悩んでいました。
父は二十歳前後に当時の綱太夫さんに直接義太夫を習っているので、義太夫の演目になると、文楽の太夫さんが語っているのと同じ息で演じるので、相手役をしているときは引き込まれます。
「曾根崎心中」の天満屋のお初の台詞は黒御簾の中で見ながら一緒に台詞を言っていても息継ぎが分からず、初めのうちはちょっと信じられませんでした。
今でこそ何とか同じに近い息で台詞が言える様になってきましたが、勘太郎さんは戸惑っていると思います。
25日に稽古をみたのですがそっくりまねなくていいと思うよと言ったのですが、5月1日2日の二日間稽古を見に行くのが楽しみです。
是非皆さんも明治座へ五月足をお運び下さい。
「五月人形」
2011年4月25日
我が家の五月人形です。
提灯の紋は"蝶花菱"という紋で扇雀の替え紋です。
長男の祖父である父からの贈り物です。
顔の髭が無くなっているのですが、妹が三歳くらいの時にこわいと言ってちぎってしまいそのままになっています。
この五月人形は子供が何歳まで出すものなのでしょう?
その常識が分かりません。
どなたか教えて下さい。
今年の5月5日は既報のとおり北九州芸術劇場で「鷺娘」を踊っています。
スケジュールのページからチケットを申し込めますので、是非いらして下さいね。
「本日 新橋演舞場四月公演千穐楽」
2011年4月25日
一ヶ月ありがとうございました。
世の中が自粛ムードの中大勢のお客様が足を運んで下さいました。
ここに4月12日の文化庁近藤長官のメッセージを転載させていただきます。
当面の文化芸術活動について
このたびの東日本大震災によって亡くなられた方々のご冥福を衷心よりお祈り申し上げると共に,被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます。被災地においては,今なお行方不明の方々の捜索が続き,不安かつご不自由な生活を余儀なくされている方々が多数いらっしゃることには胸が痛むばかりです。
こうした中で,余震の恐れや計画停電,事業の自粛などにより,被災地以外の地域においても伝統的な行事や文化芸術活動が縮小されるなどの動きがあると承知しております。文化芸術は本来,私たちの心に安らぎと力を与え,地域の絆を強め,明日への希望を与えてくれるものであり,その縮小は経済社会全体の活力にとって好ましいものではありません。全国各地の活発な文化芸術活動によって国民ひとりひとりが活力を取り戻すことが,日本全体の元気を復活させるために必要なことであり,被災された方々に対する一層の支援につながるものと考えます。こうした動きはまた,復興に向けた力強い日本の姿を国際的に印象づけることにもなりましょう。
被災地では様々な生活支援事業に加え,既に各地で文化芸術を通して被災された方々を慰め,勇気づける自主的な取組みが見られることに意を強くしています。文化芸術は,復興への歩みを進める方々の心の滋養になることを過去の経験が物語っているからです。また大震災直後から国の内外で文化芸術分野におけるチャリティーの催しが数多く行われ,それらを通じて皆様が心を一つにして支援の動きを強めておられるのを目の当たりにしております。海外のアーティストによる支援活動も広がっており,芸術家の国境を越えた連帯と,文化芸術のもつ力を再認識しました。
文化庁は,従来の文化芸術振興策を積極的に推進すると共に,被災地の復興と歩調を合わせながら,現地での文化芸術活動への支援など,被災された方々を勇気づける取組みにも意を用いて参ります。
今後,被災された方々に心を寄せつつ,電力事情,安全性等を十分踏まえながら,それぞれのお立場で,文化を創造しあるいは親しむ活動を積極的に行うことにより,日本の力強い復興を支えてくださいますようお願い申し上げます。
平成23年4月12日
文化庁長官 近藤誠一
http://www.bunka.go.jp/bunkazai/chokan_message_110412.html
まさに私達の気持ちを代弁して下さいました。
自分の身の丈にあった行動をして行きたいと思います。
「欲望という名の電車」
2011年4月19日
今月は東京で昼の部のみの公演ですので他の劇場に足を運べますのでこの機会を利用して舞台を見てきました。
http://www.parco-play.com/web/page/information/yokubou/
テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』
松尾スズキさん演出の秋山奈津子さんのブランチ
これだけでも演劇ファンは食指を動かされることは間違いないと思います。
秋山奈津子さんは以前のコクーン歌舞伎「桜姫」で僕が長浦を演じた時その現代版で僕の演じた"長浦"と同じ役を演じていた縁があります。表現力豊かな女優さんです。
体に役が染み込むことが最も大事なことだと思いますが見事に体現されていました。
精神の病んだ役は創造の過程で自分の思考が、普段想像できる範囲を超えるものだと思います。ブランチにはトラウマがありますが、自殺せずに生きて来たなかに本当の自分と別の作り上げられた自分が共存しているので役者にとっては最難役なのだと思います。
膨大な台詞を全て自分の言葉として口から放出していくエネルギーは並大抵のものではありません。奈津子さんやり遂げたと感じました。まだまだご自身の中ではもっともっとという気持ちが必ずあると思いますが、ブランチの半生がそこにはありました。
松尾さんの演出は目の前で時間が過ぎて行くのがリアルに伝わりいくつかのギャグもあり転換の映像と音楽がブランチとシンクロして伝わってきました。この方の才能も歌舞伎に注入していただきたいですね。
スタンリーの池内博之さんの肉体から出る役の臭いのようなものが伝わってきました。
そしてステラの鈴木砂羽さんはスタンリーの妻でブランチ妹という間で揺れる人格が見事でした。
歌舞伎以外の舞台は刺激が強いんです。やはり自分自身役者の感性で見てしまうのかもしれませんが、周りのお客様同様生きる活力を舞台から貰いました。
スタッフそして出演の皆さんありがとうございます。
「おまけに以前のバージョンをもう一度」
2011年4月19日
せっかくですからお気に入り2010年バージョンもご覧下さい。
Mc cafe「大集合」編
Mc cafe「大集合再び」編
「マクドナルドCM 最新作ご覧下さい」
2011年4月19日
http://www.mcdonalds.co.jp/company/cm/index.html
今回はMaccafe15秒バージョンのみです。
コーヒー美味しいですよ!
「お米」
2011年4月17日
以前から雑誌等で紹介していますが新潟の萱森農園のお米です。
数年前に名古屋の料亭のご主人に紹介されてから長く取り寄せて食べています。
炊き方にもこだわりがありホームページで紹介されています。
とても美味しいとしか紹介のしようがありませんが興味のあるかたは下記からホームページを訪ねて下さい。
一押しです。
萱森さんの人柄も素敵なんですよ。
「雑誌インタビュー」
2011年4月15日
コムウェル会員誌(冠婚葬祭会社)
「キララ」旬感インタビュー
というコーナーでお話をしました。
一般の方には出回らない冊子ですので話の表題のみ抜粋してご紹介します。
<人生死ぬ迄生きている。でも、死ぬまでしか生きていない。
このことにきづくこと、こういう気持ちをもつことが大切だと思うんですね>
<練習は不可能を可能にする>
<役者とは、いちばんベストと思う方法を探すクリエイティブな職業>
<目標を持って走り続けて行きたい>
こんな表題でそれぞれ自分の今の考えを話ました。
都合上中身がなく中途半端ですいません。
インタビュー時の写真↓
「マクドナルド CM」
2011年4月14日
平成中村座のメンバーが集まるCMの第三弾が4月25日から流れます。
関西や電車内の掲示板では先行して放映が始まっています。
残念ですが、病気療養中の勘三郎さんは今回欠席となりました。
いつものメンバーに加えて、100人のエキストラが加わった撮影風景です。
三月博多座公演中に終演後に博多で撮影しました。撮影現場の楽しい雰囲気がそのまま出れば楽しい映像になっていると思います。
合わせてマクドナルド宜しくお願いします!
「四月十三日 二代目鴈治郎 祥月命日」
2011年4月13日
今日は私の祖父 二代目中村鴈治郎 の命日です。
亡くなったのが昭和58年ですからもう28年前になります。
私は12歳で初舞台を踏んで、その後14歳から22歳迄歌舞伎の舞台に一度も立ちませんでした。
22歳で14年振りに舞台に戻ったのが祖父が亡くなった翌月、すなわち昭和58年5月の南座公演でした。
ですから成人してからは祖父と同じ舞台に立つことはなかったんです。
祖父の通夜で魂を受け継ぎますと心に誓ったことを良く覚えています。
今日は初心に帰る日です。
「五月五日 第三回若扇会」
2011年4月11日
北九州芸術劇場に出演致します。
私の弟子の扇一朗が地元北九州で勉強会を開きます。
平成二十年に博多で第一回の勉強会を開いた時に、はからずも扇一朗が地元北九州で文化振興の奨励賞を頂戴し今後北九州で伝統文化振興のお手伝いさせていただくこととなりました。
地元の子供達も参加しての今回の勉強会の開催となり歌舞伎振興の手伝いができますことをとても喜んでおります。
私の演目は二十数年振りに「鷺娘」を踊ります。
二十代の時に巡業で踊って以来の上演ですので初心に帰り勉強したいと思っています。
一日限りの公演ですので多くの皆様のご来場をお待ちしています。チケット申し込みを下記アドレスで受け付けています。
「東京都知事選挙」
2011年4月11日
満開の桜を眺めながら投票してきました。
結果は皆さんご承知のとうりです。
何か気持ちの入らない選挙でした。
候補者の討論会も聞けず、新聞に掲載の主張も記者の考えたテーマに対する答えがそれぞれ表になっているだけで本人の持っているエネルギーのようなものは伝わりません。
税金を払っている私達に選択権が与えられているのにこの中から一人に絞るの・・・
消去法で大都市の首長を選ばなくてはいけない現実にを落胆しました。
大震災後に国民の前に顔を出さない総理大臣はテレビ会見の時、目の前の記者に向かってしゃべり、言葉の途中に「あー」「えー」「まー」等と言葉と言葉の間に間(ま)が多く、全くこちらに気持ちが伝わらず、日本人が今頼りにしているのはオバマ大統領だというようなジョーク迄飛び交い、いやはやとんだ指導者が未曾有の災害時に在任しているなとまた落胆してしまいます。
非常時こそ政治主導でカリスマを発揮して国民を導いてもらいたいものです。
政治家が思っている以上に行動力と判断力を国民は持っています。
風評被害を作らぬようみんなで心がけましょう!!
「「お江戸みやげ」文字辰」
2011年4月11日
とにかく強欲な継母です。
この役は。
お客様に"何あの人"って思われたら成功だと思います。
自分に割り当てられると思っていなかった役ですのでかえってゼロから楽しく作っています。
悪役と迄は言わなくとも嫌な人には間違いありません。
この作品の作者 川口 松太郎先生は両親の媒酌人でもあり
また私の本名
「浩太郎(ひろたろう)」
の名付け親でもあります。
六歳の初舞台のときには「紅梅曽我」という小作品を兄と僕の為に書き下ろしても下さいました。
勿論故人ですが、見ていただいてて感想を聞きたかった。
撮影 松竹写真部
「「封印切」梅川」
2011年4月 9日
玩辞楼十二曲の内「封印切」
この玩辞楼十二曲という言葉が自分のなかで大きな大きな存在なんです。
昨年の十二月京都顔見世以来「河庄」「土屋主税」「封印切」と玩辞楼十二曲の中でも上演回数の多い演目かが続きました。何よりも嬉しい事です。
その中でも今月の「封印切」は忠兵衛と梅川と両方合わせると300回以上勤めている演目ですので全ての役の台詞がいつでも口から出てきます。
しかしやはり父の相手役として出演することによって曾祖父初代鴈治郎から脈々と続く上家の芸の伝統を引き継ぐ事に繋がります。
以前にも書いて繰り返しになりますが
上方歌舞伎は独自の工夫を良とする風潮がありますが、この玩辞楼十二曲にだけは初代鴈治郎が大当りを取った演目ばかりですのでその残された演出を踏襲することが何もりも必要とされると思っています。
今月の梅川ですがそんな中で以前と違う演じ方をしている箇所があります。
それは忠兵衛が封を切ってしまい二人きりになったあと忠兵衛に
「死んでくれ。死んでくれにゃあどもなりゃせんがな。」
の台詞をうけて梅川が
「死んでくれとはもったいない、わしゃ礼言うて死にますわいな。」
と返すところです。
以前は"わしゃ礼言うて"のあとに義太夫の三味線がチンと一つはいったあと"死にますわいな"の部分で泣き落としと呼ばれる三味線の音が入って泣きながら"死にますわいな"の台詞を言います。しかしこの部分は"礼言うて"という言葉のなかに喜びと感謝を含ませたいと考えました。身分の低い女郎を人として一人の女性として認めて愛してくれた事への感謝や愛情の表現を泣く形以外でもできないかと考えたのです。
ですから泣きながらその気持ちを表現するより悲しい中から笑顔や笑い等の表現を含ませたほうが、死を決意した二人の末路がより一層悲劇性を持つのではと考えました
幸い父からのダメだしが無く今月はこの演出で上演しています。
むしろそのあとに続く忠兵衛の台詞も以前と違うこ感情がみ上げた表現に変わって来ているように感じています。
この部分も含めて父との「封印切」は又今回新しく生まれ変わったような気がしています。
一月の「土屋主税」も父の土屋候でお園を勤めているので細かくその演出を覚えています。
その中に初代から二代目そして父に受け継がれて来た玩辞楼十二曲の真髄に触れることができます。兄はお園を勤めていないので自己流の部分が多く見受けられました。
上方歌舞伎ではまず女方を勉強してから立役を勤める伝統がありますが、それは舞台上で相手役のすべてを学び吸収できるメリットがあるからなんです。
またその上、女方を勤めることで体に色気がつきそれが"つっころばし"と呼ばれる二枚目の演技に繋がるのです。
幕切れの引っ込みを梅川が先で忠兵衛が一人で引っ込む演出は玩辞楼十二曲ならではの演出ですがこれは初代鴈治郎を一人で引っ込ませるためだそうです。
やはりスターは一人で幕を閉めなければお客様が許さなかってのでしょう。
上は梅川一人の引っ込み
「四月新橋演舞場」
2011年4月 9日
初日から一週間たち劇場も25%の節電の中落ち着いて来た感じです。
まだまだ原発の心配は全く消えておらず私自身も不安な気持ちもございますが
客席のお客様は私が想像していた以上に平静になられて舞台を楽しんで下さっているようです。
震災後の最大の余震が襲い、不安な気持ちは消えませんが公演を通じて活力を与え続けてゆきたいと念じています。
私は昼の部のみの出演ですが、三演目とも全くカラーの違う演目が揃いご満足頂ける舞台になっています。
一月の松竹座に続いての父との玩辞楼十二曲の上演です。家の芸をお見せする事は思い責任を感じています。日々の舞台を一期一会の気持ちで勤めています。
まだチケットの残もございますので皆様のお越しをお待ちしています。
自粛は経済的に二次被害に繋がるという声も聞こえてきます。
平時に気持ちを戻して行く事も復興支援の一つなのかも知れません。
「延期のお知らせ」
2011年4月 9日
5月21日「伝統芸能の楽しみ方」
の講演会が延期となりました。
講演予定の千葉松戸市東漸寺のご住職が今回の被災者の方をお寺で多く受入れられた為に充分な準備ができず延期の形になりました。
日を改めて講演をさせて頂きたいと思います。
申し訳ございません。
「お詫び」
2011年4月 9日
先般ご報告致しておりました今夏の巡業「夕霧名残の正月 由縁の月」の公演ですが
東日本大震災の影響で中止となりました。
公文協の方と松竹の方との話合いで決まった事との報告がありました。
熊本の八千代座や近松門左衛門に所縁の深い尼崎や西日本の各地にも伺う予定で直接影響の少ない土地も多く含まれていましたがとても申し訳なく残念に思っております。
話し合いの場に加われなかったので役者として今できる事は舞台を通じて皆様に活力を差し上げたいと言い続けている一人としては自分の無力を恥じるばかりです。
必ず近いうちに今回予定されていた場所に伺いたいと思っております。
誠に申し訳ございません。
この場をかりてお詫び致します。
「撮影 SENJAKU」
2011年4月 9日
子供の頃一時カメラに凝った時期があり、今でもその感覚が残っています。
三月博多座千穐楽の舞台を下手の幕だまりと上手の上にある義太夫の床からコンパクトデジカメで撮影しました。
素人がフラッシュ撮影禁止にして舞台の横から撮影したので露出の関係上ピンとがづれているものが多くお見苦しい点は素人仕事ですのでお許し下さい。
勘太郎さんの団七と笹野高史さんの義平次による
「夏祭浪花鑑」長町裏義平次殺しの場面です。
博多座でもシアターコクーンや平成中村座のように舞台に穴をあけて泥の池の中に義平次が殺されて沈んで行きます。
舞台の照明を落として差し出しの本火と現代の懐中電灯のようなガンドウによる照明の中での立ち回りから
団七の「悪い人でも舅は親。親父どーん。許してくだんせー。」
と泥の中に沈めた舅にむけて叫んでから引っ込みに向かう場面です。
勘三郎さんの休演を受けての今回の公演でしたが魂が乗り移ったかのような舞台でした。
大詰めの立ち回りから「まず今日はこれぎりー」の切り口上まで
勘太郎さんの団七と橋之助さんの徳兵衛です。
ミニチュアの町並みを使っての立ち回りです。
上手の上の御簾の中から撮影しました。
この写真の続きが前ページのカーテンコールに繋がります。