中村扇雀の公式ブログ

「内蔵助、中日を過ぎて」

2015年4月16日

14日が今興行の中日でした。

4日間の立ち稽古で40年振りの演目の初日を迎え、日毎に発見があり初日からは芝居も変わってきていると思います。
初日のお客様も千穐楽のお客様も同じ切符代を払って頂いていことを思うと申し訳ないとは思います。しかし、舞台は生物で毎日新鮮な空気を新しく吸っているので前日や前々日と全く同じ物を作れという方が無理かもしれません。
また、客席の雰囲気(拍手が多かったり少なかったり等)に寄っても芝居の流れや盛り上がりが変わることも有ります。お客様に乗せて頂く空気の時も勿論あります。

今回は先人のメモを頼りに舞台を作ってきましたが、稽古場と本舞台では道具のあるなしによっても芝居の流れが変わってきます。

初日から1番の変化は芝居のテンポだと思っています。歌舞伎は見て頂いてわかるように台詞が日常会話より大仰にゆっくりになることが多いのですが、それによって退屈してしまうことが1番の問題点だと思っています。しかし、その中にリアルさが含まれると飽きないとと確信しています。
歌舞伎は音楽劇の1つ、特に義太夫狂言は音楽劇だと思っていますので、その台詞の言い方は歌舞伎の特色ですから崩すこと無くなおかつリアルに聞かせる。ここが難しいところです。気持ちがその場のその人物のリアルな感情と重なりそれを全面に押し出し、なおかつ歌舞伎の音楽の要素を踏まえていなければならないのですから簡単ではありません。

動きもしかりで、私達は"糸に乗る"という言い方をしますが、それは三味線の音楽が体の動きとシンクロすることです。また"アタル"という言い方もしますがこれは義太夫の三味線の盛り上がりところや息を詰めるところで役者と三味線弾きの方とが西洋音楽の音符の何拍子とは違って特殊な間ぶつかり合うことを云います。芝居のクライマックスでよく使われるテクニックですが今回は私(内蔵助)と妻よしの別れの部分で"アタって"います。他にも数カ所有ります。大事なポイントです。

碁盤が今回重要な役目を果たしますが、高さと碁石を置いた時の音の出方等が難しく藤浪小道具の方が4つ程探して下さいましたが高さが合うと音が出ず、音が出ると低かったりで、結局音が出て高さの合うものを作って下さいました。碁盤に肘を突いて寝たりするので低いと姿形が悪くなるのです。

碁石の仕込み方や雪の降らせ方、又仮名手本の九段目のように庭の手水の氷を割って水を飲ませる芝居も4日目ぐらいの開演前に大道具さんに頼んで急遽作ってもらったり、とにかく芝居をやっていく上で発見や改革の連続です。
それに即座に答えてくれる全ての人はプロの集団だなと嬉しく思っています。

台詞も「故主への忠を思えばこそ」を「内匠頭様への忠を思えばこそ」に変えたりもしました。他にも数カ所カットしたりした部分も有ります。

最後の方で私(内蔵助)が「反間(はんかん)なるとは知らざるか」という台詞がありますが、
この"反間"とは「敵の間者を逆に利用して、敵の裏をかくこと。」という意味ですので参考になさって下さい。どこで言うかはストーリーのネタバレになるのでご容赦下さい。
またもっと幕切れに近いところで「灯(あかし)が消えて、本意ないのう」私(内蔵助)が母と妻に言う台詞がありますが、"明かりが消えて暗闇になれば、私が言った言葉は忘れて下さい"と言った感情がこもっています。

この作品は曽祖父初代鴈治郎が作り上げた作品ですが、仮名手本忠臣蔵の四段目六段目七段目九段目の要素がふんだんに入っている実によく出来た作品だと思います。

兄の四代目鴈治郎襲名の興行で玩辞楼十二曲の1つとして40年振りに作品を蘇らせた事に感謝しています。財産が増えた感じです。
そういえば父の坂田藤十郎の襲名興行の時も玩辞楼十二曲「藤十郎の恋」努めましたので、やはり先祖の残したものを次に繋げていくことが歌舞伎役者の宿命だなと感じています。

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コメント

台詞の意味の説明、ありがとうございます。
観劇する際に参考にします。

先日、藤浪小道具さんの見学会があり参加させて頂きました。
その中で社員の方が、役者さんと相談し一から作ることもあると仰っていました。
需要がないため、手に入りにくい物もあると。
刀も実際に持たせて頂いたり、新三の鰹を捌いたりと貴重な体験でした。
舞台をまた違った視点で観れそうです。

梅☆さん

藤浪さんの見学会があるとは知りませんでした。小道具さんには年中無理なお願いをしています。その都度なんとか工夫して答えてくれているのでプロ集団だなと敬服しています。
芝居は多くの方の陰の力で支えられています。感謝。

碁盤太閤記、面白かったです。多分、上演回数が少ないのは、山科閑居とイメージが被るので、残らなかったのかな。でも、扇雀様が主導権を取る事によって、オリジナルの玩辞楼十二曲の世界ができつつあるような気がします。時間ペースも含め、色んな気配りが感じられます。初代さまは、多分カリスマ性、で、娯楽ない時代だし。夜も拝見しましたが、壱君も、虎君も、ちゃんと上方芸能の継承を意識してますね、お江戸育ちなのに、二人はちゃんと関西弁でした。

tamさん

ありがとうございます。初代鴈治郎は本当にカリスマ性を持っていたのだと思います。主役1人が先に引っ込む形は通常では考えにくいものですがそれを納得させる物を持っていたのでしょう。関西弁ですが厳密に全ての訛りを直すのは非常に難しいことです。私も東京生まれ東京育ちですので今でも関西弁の方たちの会話は最新の注意を払って聞いています。関西弁のように聞こえる迄にはなるのですが、微妙なニュアンスは本当に生まれ育たないと身につきにくいものです。それを乗り越えるのも役者の仕事の1つです。

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