中村扇雀の公式ブログ

「大向う」

2016年9月18日

大阪の大向う初音会の会長である岩城さんが先日亡くなりました。
まだ61歳の若さです。突然の訃報で驚いたのですがお通夜の席でご遺族の方から癌を患ってらしたことを聞きただただ驚くばかりでした。

7月の松竹座に出演していなかったので私に最後声を掛けてくださったのはは4月の金丸座でした。元気な様子で楽屋を覗いて下さったので、訃報を聞いた時は耳を疑いました。

上方歌舞伎を愛し大阪の大向うを引っ張って下さっていたので残念でなりません。
棺には父を始め役者と一緒に写っている写真が沢山収められていましたが、二度と岩城さんの声が舞台で聞けないのは寂しい限りです。


日本人には江戸時代拍手の習慣がなかったので大向うが生まれたのだと思います。
劇場での拍手は明治以降、西洋の習慣が輸入されてからです。
拍手をしたいお客様の気持ちの現われが大向こうですので劇場の何処に座られていても是非大向うにチャレンジして頂きたいと思います。
また大向こうの会の入会方法は私は知らないのですが、各劇場で尋ねていただいたら教えてくれると思います。
大向こうは歌舞伎の演出の一つと言っても良いほど大事ですので、我と思う方は是非大向うを掛けて下さい。

亡くなった岩城さんも大向うを存続させていきたいと強く願っていた方です。

心よりご冥福をお祈り致します。


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コメント

上方の芝居が大好きだった岩城さん。
好きすぎて、芝居の話をし出したら、なかなか止まらなくて(笑)声音の真似は絶品でした。
3階からあの声が聞こえなくなるのは寂しくて仕方ありません。
私は、大向こうはかけれませんが、お芝居は観続けようと思います。きっと、『観に行ったってやぁ』と言ってはると思うので。

4月の金丸座の時、岩城さんと飲んでいたお店に偶然扇雀さんがいらして、今後金丸座でこんな芝居をしたいというお話をお二人で楽しそうにされてらっしゃいました。
将来実現するであろうその公演に自分が居ないとは、あの時ご本人も思っていなかったでしょう。
空いてしまった大きな穴はなかなか埋まるものではないと思いますが、岩城さんが守ってきた物が失われないよう、私も切に願っております。

初めて松竹座へ伺ったとき、3階の最後列ですぐ後ろから聞こえてくる大向こうの迫力、温かさに感動した思い出があります。私は女性なので(仮に男性に生まれていても勇気がなさそうですが)祈ることしかできませんが、ここ!というところに絶妙な大向こうが入ると思わずにっこりしてしまいます。巧みな大向こうさんは、お芝居の見方を教えてくれる先生でもあります。

役者さんが惜しまれるほどの大向こうさん、歌舞伎にとって大切な存在だったと思います。受け継ぐ方がいてくださいますよう祈ります。
そして大向こうはかけられなくても、少しでも良い観客になれるよう、心を込めて舞台を見続けたいと思います。

いとはんさん

岩城さんを直接ご存知でしたらなおさら亡くなられたことが信じられないと思います。
心よりご冥福をお祈り致します。

小春さん

岩城さんは役者の事を良く見てらっしゃいました。芝居を愛して下さったお気持ちに応えるべく舞台を努めて参ります。

花梨さん

大向うは演出の一部だと思っています。いつかは大向う掛けてみてください。

岩城さんとはある会でご一緒して
何度かお会いしたことがあります

お話をお伺いするのがいつも楽しみでした
藤十郎さんと一緒に撮った画像を見せて下さったことがありました

上方の大向うは、『間』が東京とは違うと仰っておられました

ひと息、間をおいて掛けるのだそうです

「初音の会」の”初音”は初音の鼓のことですか?
とお尋ねしたら、そうです…と教えて頂きました

ちょうど、鴈治郎襲名の松竹座の公演のころは
成駒家さんのことをとても嬉しそうに話されていたことを思い出します

小柄な優しいお顔でハスキーボイス

切れのいい柔らかな大向うが聞けないと思うと
とても寂しく思います

心より
ご冥福をお祈りいたします

たまねぎさん

歌舞伎を愛してくださっていました。残念でなりません。

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