「秀太郎兄さん」
2021年5月28日
歌舞伎では親戚でなくとも先輩のことを叔父さん、兄さんと呼ぶ慣習がある。
相手によつて親しみを込めて言う場合と、敬意を持って言う場合との違いがあるが秀太郎のお兄さんは私にとっては両方だった。
歌舞伎に関する知識はまさに国宝であり敬意を持ってお兄さんと呼ばせて頂いていた。
特に上方の歌舞伎を熟知してらっしゃり、江戸との違いも細かく記憶してらっしやった。
教えて下さる時も、これはこうだからこうしなさいではなく、ご自身のご存知のことを伝授して下さり、やりよかったらそうしなさいと言った教え方をして下さった。無論そこには先輩の息子ということもあり少し遠慮がちにおっしゃることもお兄さんのお人柄だったと思う。
3年前の3月歌舞伎座の「国性爺合戦」でご一緒した時に「ひろちゃん(私の本名)しんどいのよ息が」とおっしゃってらしたけれどもしっかり母渚を縄で縛られながら務められたお姿が目に浮かんで来ます。
いつも笑顔でいらして長男の虎之介のことも気にかけて下さっていてお人柄に憧れていました。
封印切のおえんで私が梅川でご一緒した時も舞台上でおえんさんの梅川に対する優しさがご自身の優しさにも被って、忠兵衛を務めていてもお兄さんのおえんさんの優しさが悲劇を浮き立たせて下さいました。
思い出はつきませんが、去年の顔見世の千穐楽に舞台にお出になられた時にご挨拶に行きたかったのですが、コロナで楽屋の行き来が禁止されお目にかかれなかったのが心残りでなりません。
愛ちゃん(愛之助さん)を養子に迎えられて、ご自身の上方歌舞伎への愛情を継承する役者さんを作られたことは大きな功績の一つだったのではないでしょうか。
今までの多くの教えに感謝し心よりご冥福をお祈りし哀悼の意を捧げます。
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