中村扇雀の公式ブログ

「一周忌」

2021年11月12日

令和2年11月12日に父が亡くなって早いもので一年。

先日ブログにも書いたとおりコロナ禍で本葬を見送っておりましたが、緊急事態宣言の解除を受け先月10月28日にThe Okura Tokyoに於いて「坂田藤十郎偲ぶ会」という形で父を送る機会を設けさせて頂き、翌29日に納骨と一周忌法要を鎌倉霊園でとり行い

「妙藝院殿藤久日宏大居士」

青山妙円寺のご住職にお付け頂いた素晴らしい戒名で送ることができました。
"コロナ禍でもちゃんと送ってや"と言ってる父の声が耳元で聞こえたような気がする。
そこにいるべき人が居なくなった後というのは人によってさまざまな感じ方があると思うが
この一年間役作りで、父だったらこうやってただろう考えることは常にあるが、実は存命中も同じ事をしていた事にふっと気づいた。教わる前に自分で考える習慣は父の死に動ずることがなかった一つの理由かも知れない。もちろんアドバイスは受けられたら尚更いいに決まっているが、それは今はできない。それだから余計に色々頭を巡らせより考え、勉強というより研究と稽古に向かうことになる。

「世阿弥のことば100選」を久しぶりに読み返した。
曽根崎が決まってから近松門左衛門の床本を読み返した。

徳兵衛を務めたときに宇野先生の脚色と近松の原作にかなりの違いがあることに驚いとことを思い出した。
生玉の境内の場で徳兵衛が
「三日を過ごさず大阪中へ、死してもまうしわけはしてみせませう」
という原作を
「三日をすぎず、大阪中へ申し訳はしてみせまする」
と宇野先生は脚色なさっているのを見つけたんです。
死してもという言葉を抜いてらっしゃる。
今となっては理由は聞けないのですが、原作からゆくと徳兵衛は生玉で死を仄めかす意地と悔しさを滲ませている。ここが徳兵衛の役作りの原点になったんです、弱々しい上方のつっころばしとはまた少し違った実は芯の強い男の部分も持ち合わせていると感じ取ったんです。祖父二代目鴈治郎の徳兵衛はどちらかというとつっころばし系の役作りでした。
さして宇野本の幕切れは
「恋の手本となりにけり」
近松は
「森の雫と散りにけり」
全く違う文言になっている。
この二人の心中は僕の中ではハッピーエンドとして究極の恋愛物語として描きたい。
だから最後は二人が最も望んでいた死ぬところをお見せしたい。
宗教的には自死がいけないことと説く場合がほとんどだと思うが、死は二人にとってこのさき生きていて引き裂かれていくことを思ったら一緒にいられることに最大級の喜びを感じる。自死を推奨する意味ではなく一つの愛情の姿としてここまでの表現もあるという納得感をお客様に感じて欲しい。
ロンドン公演の曽根崎心中で私は父と兄の舞台を客席で見ていて、カーテンコールは起こるがスタンディングオベーションが起こらないことをロンドンの友人に尋ねたら、"死なないからだよ"と即答だった。芝居が途中だと。
そう父の1400回以上務めた曽根崎心中の"お初"は手を合わせて徳兵衛に向いて殺してというポーズのまま幕が降りる。
この時に僕は死のうと確信したんです。文楽でも映画や新劇でも最後死んでいます。
これは宇野先生の美学だったのでしょうか?
近松では「森の雫と散りにけり」ですから散りにけり
死ぬほうが妥当と考えられます。
宇野先生は死んでしまうことに納得感を得ていなかったのでしょうか。
近松は死んでいくことに納得感を持っているように思えます。
大詰めの道行は笑み浮かべるような心持ち。ここまで二人で来れて誰にも邪魔されない二人の世界に来た喜びのようなことを表現したいと思っています。

皆様はどう感じるのだろう。

そんなようなことを含め12月の南座顔見世の10時30分開演の一部で追善狂言として「曽根崎心中」のお初を務めることの報告を仏前に改めてすると、
時間の流れは止まらないんだということを痛感する。

父が誰にも譲りたくなかった1400回以上務めた役を一周忌に務めることは巡り合わせとしか言いようがない。もう一度父の前で演じたい気持ちもあったがその機会はもうありえない。

11日に赤坂歌舞伎の初日が開いたばかりだけれど、あっという間に「曽根崎心中」に初日を迎えているような気がする。

コロナで生活が一変してあれもこれも出来なくなり時間が不用意に過ぎているように感じ、それをコロナのせいにしてはいけない事は十分わかっているのだけれど、現実その影響は生活を一変させてしまった。
翻弄はされたくはない。ワクチンも国産ができるまでは控えておこうと思っていたけれど、ワクチンパスボートみたいな話が出てきたのでマイナンバーカード作成ととワクチン2回は済ませてしまった。

一周忌と表題をつけたのにかけ離れた内容になってしまったけれど
今の心境です。

曽根崎心中のお初は、父と私と壱太郎しか努めいないのでご覧になる方も比較対象が少ないので私の新しい"お初"を多くの方に見て頂きたい。

それが一周忌の供養になればと。

1931年生まれの2002年の父です。

撮影:篠山紀信

曽根崎心中 お初 2.jpg


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コメント

扇雀さん、こんにちは。
藤十郎さまの素晴らしいお写真に見入ってしまいました。
南座の顔見世のチケットが取れました!
都合で第一部と第二部だけ拝見して、新幹線で西へと帰りますが、扇雀さんの「お初」にお目にかかれます!
今からワクワクドキドキです。
関西の短大に進んで教授が顔見世に誘ってくださったのが、観劇の第一歩でした…あのあと数回しか観劇のチャンスがありませんでしたけど。
夜の部を見て、確か午後4時半くらいから始まって、終わったのは10時半頃だったのではないかと思います。
初めてだったので、大向うさんの声にたいへん驚いた思い出があります。
大向うさん、早く復活できるといいですね。
この先のコロナの状況がわかりませんし、寒くなってきます。
くれぐれもご自愛くださいね。
私も体調管理と感染対策に万全の注意を払って、京都行きを楽しみにします。
ではでは、来月、南座で!!

藤十郎さまが「妙藝院殿藤久日宏大居士」のお名前になられて1年
こんな世の中でなかったら
もっと実感できているような気がしますが
関西での舞台が少なくなった昨今
息苦しい世の中でなくなったら、
また、藤十郎さまを舞台で拝見できるような気が今でもしております

お初の写真を拝見していると
役者さんには年齢なんて存在しない事を改めて感じました


曾根崎心中で『死』を描かないことに私も物足りなさを感じておりました
描かないからこそ、儚さや美しさを最後に心に留めて幕が下りることで
観たものに余韻が深く残りますが
『死』をもって成就する『愛』で
お初と徳兵衛の幸せを見届けたいと思っておりました

同じように『封印切』で新ノ口村から先の忠兵衛と梅川の完結する『愛』を観たいなって感じます

私は幸いなことに
藤十郎さまと壱太郎さまのお初を拝見しました
そして、来月、扇雀さまのお初に出会える楽しみにワクワクしております

赤坂歌舞伎に行けなかった分
京都南座で、扇雀さまの『曾根崎心中』を全力で楽しみたいと思っております
公演が盛況になりますように
心よりお祈り申し上げます


扇雀さん、こんにちは。
23(火)待ちに待った赤坂大歌舞伎観劇に行きます。
数日前に中村兄弟と鶴瓶さんが赤坂大歌舞伎のPR番組をされていたのを観たので楽しみが更に高まりました。
落語を歌舞伎にしたのなら色々と笑いどころもあるのでしょうか?
楽しみにしています♪

このお写真、藤十郎さんの女方としての魅力が凝縮されていますね。
本当に素晴らしいです。思わず声を上げてしまいました。
今回の南座顔見世では扇雀さんのお写真もたくさん撮られるのでしょうね。とても楽しみです!

そして、曽根崎心中に関する扇雀さんの論考も興味深く拝読しました。
歌舞伎役者さんの役作りの過程を、傍らで拝見しているようでとても新鮮でした。
こうやっていろいろな文献にあたり、いろいろな方から意見を求めたりしながら、
一つのお役を作り上げていかれているのだなあ、と。。
曽根崎心中のお初であれば、尚更なのでしょうね。

それにしても14年ぶりとは、驚きです!
私が歌舞伎を観るようになってまだ10年も経っていないのですが、
なぜか扇雀さんのお初を観た気でいたので(笑)驚きでした。
南座の顔見世の成功を陰ながらお祈りしています!

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