中村扇雀の公式ブログ

「祖父二世鴈治郎命日」

2022年4月13日

4月13日は私の祖父二世鴈治郎の命日です。
昭和58年亡くなりましたので39年目、年回忌として呼び方はないと思いますがあえて言えば40回忌に当たります。
私が大学を卒業したのが同じ昭和58年の3月なのでその年の5月南座で8歳から14年ぶりに舞台に立ってから39年の月日が流れたことに感慨より驚きです。

2月コクーン歌舞伎のことも、コロナに罹患した事、その後の事なども文章にすることなく時が過ぎてしまいました。

満席のコクーン歌舞伎の熱気はコロナ禍以前を思い出し役者として生きてきたことの喜びを久しぶりに感じた。最後の2日間チケットをを購入して頂いて下さった方にあまりにも遅ればせながらですが、お詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。
この2年間何が、誰が、悪いわけでもなく、ただ現状を受け入れるしかなく、それに対応すべく色々な試みがネット上という新しい空間の中で行われ、新しい文化や流れが時代に即応して生まれてきていることの凄さを感じつつ、自分は傍観者になっていることに、何かしらの不安や焦燥感を抱きつつ時だけが過ぎている。
その間、父が亡くなり、秀太郎のお兄さんが亡くなり、上方歌舞伎をこの先継承していくことが生涯の目標の一つと思っている自分は今日、祖父の命日に「不忘初心」の気持ちを新たに書いてます。
コロナ禍以前の歌舞伎はどこに行くのだろうか。

先週靖国神社の薪能を拝見しに行き心の中の鬱憤が晴れる思いがして、この気持ちを決して忘れてはいけないと強く感じた。古典、伝統、文化、芸術、継承。敬愛する世阿弥の多くの言葉を頭に浮かべ、舞台を食い入るように見て、目の前の全てのことを感じることに集中する楽しさ、心地良さ。この感覚を演者として忘れないこと。
3月末に新橋演舞場でOSKの舞台を観た時も同じことを感じた。客席にいる楽しさ。しかしそれは演者や関係者全ての人が気持ちを一つにして命懸けで作るものでなくてはいけないのでしょう。このコロナ禍に多くの舞台や映画を見てきて歌舞伎を振り返る機会が自ずと増えてきた。
名優と言われた祖父は何を思い何を願い役者人生を歩んだのだろう。
本人に聞けないのだから残された書物を読むもよし、自分なりに空想するもよし。

今舞台に立てていることを改めてご先祖様に感謝を。そして「不忘初心」。

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コメント

扇雀さん、こんにちは。
長らくブログ更新が無かったので待ってました。
今月は20(水)に歌舞伎座へ観劇に向かいます。
こんなに長い間コロナに振り回される生活は想像はしていませんでしたが私の仕事はお休みにはならず何とか通常に近い感じで続ける事も出来ているので大好きな歌舞伎鑑賞を続けれて楽しませて貰ってます。
歌舞伎に携わる全ての役者さん、スタッフさんにいつも元気を貰ってます!有り難うございます!

二世鴈治郎さまのご命日
私は直接拝見したことがございませんが
受け継がれ脈々と流れる成駒家の歴史を
今、拝見できる喜びがあります

この2年間は
アイデンティティが問われる期間だったともいえると思います

『不要不急』とはなにか・・・

この言葉によって
自分が存在する為に必要なことを考えました

また、コロナ禍で戸惑っている自分がいます

その中で言えることは

舞台は『重要』でかつ『至急』

素晴らしい『芸』を持っておられる『演じ手』が
舞台におられなくなったら二度と直接観ることが出来ない

『今』がとても大切なことを

満席のコクーンの熱気は
食事をすること事と同じくらい
身体の中に沁みる大切な時間でした

まだまだ、気持ちがざわざわしますが
身体中で感動の舞台を受け止める心地よさを感じ続けたいと思います


扇雀さん、こんばんは。
本日は歌舞伎座1部&2部観劇しました。
どの演目も違った楽しみがいっぱい。笑って、泣いて歌舞伎をたっぷり楽しむ一日となりました。
お昼は喫茶室・檜さんのビーフシチューも堪能しました。
楽しい時間はあっという間です。

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